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yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

小説 砂漠の燈台 3

急     1

 お変わりはございませんか…。
あれからずいぶん月の巡りは過ぎました。
この一年間のことを少しお伝えして私の心を感じ取っていただけたらと思っています。
私は元気です。充実しております。知識を蓄えること、考えることがこれほど楽しいと思ったことはありません。何かに向って挑戦するその興奮に心がときめいているのです。今まで知らなかった人との出会いがより広い世界を見せてくれるのです。
この一年をかけ四大文明よりもっと昔の遺跡を訪ねてきました。それはあの瀬戸の海辺渋川の夜から始まりました。

 人間は暗闇が深いほど考えるということを知りました。目を凝らして見つめると見えなかったものが見えてくるという実感を持っています。
 あの日、渋川で山藤会長とおじさまは潮騒の音の中、暗い海を見つめていました。いいえ、両眼をしっかり閉じて瞑目をしておられたのです。何が見えたのでしょうか、何を思い考えたのでしょうか。私には遥かかなたの何ものかとテレパシーの交換をしているようにも感じられたのです。
 鉄の鍬が出来て地を耕すことが早くなり作物も豊富に収穫できるようになり、人口も増え、人は考えることに時間を使えるようになると、人はどうして生きているのか何をしなくてはならないのか、生き死についての真理を知るために山に登り海を眺めて物思う人たちが増えていきました。その人たちは山の頂と空の稜線を眺めただ答えを待つ人になっていったのです。そこで暗闇から届く哲理を会得しょうとしていたのです。自然の中から、いいえ、遠く離れた宇宙の響きの中からのテレパシーを受信していたと思われます。
 会長もおじさまもまさにその通信を待ち感じ取ろうとしていたと思われます。お二人のその行為は何時はてることのないもののように感じられました。
「やりますか」
「はい、それしかありません」
 お二人の短い言葉はしっかりと結びつかれておりました。
 そのあとホテルに帰ったお二人は一室に入られ話しておられました。私も外で正座しておりましたが声は届いては来ませんでした。いつしかそこでうたたねをしてしまっていたのです。
 その夢は、私が砂漠の中に帆を張った車で走っているものでした。砂はさらさらと流れ生き物のように感じられました。この今は砂漠になっているけれど茫々とおい茂る巨木が埋め尽くしていた時代があることを知っていました。砂漠は人間に犯されないように自然が拒否しているものだと考えました。それも自然が再生するためなのだと思いました。いつのまにかすっかり日は落ちて気温も低くなり漆黒の闇の中を走っていました。暗闇に目が慣れたのではありません、はっきりと五メートルはあるかと思われる巨石が何本も立ちふさがったのです。それが見えたのです。そのはるか向こうに小さな灯が見えたのです。
 そこで目が覚めたのです。
 これはこれから起きる何かの暗示としか思われませんでした。しばらく呆然としていました。考えることはできませんでした。
 その時、お二人が扉をあけて出てこられたのです。
 一睡もされてないお二人はなんだか晴れ晴れとしておられました。
「やはりあの橋は邪魔ですな」
山藤会長は頬をゆがめてそのように呟きになられました。
「全くです」
 おじさまはそう頷いておられました。

 東京に帰っても私の仕事は相変わらずで全国各地を飛び回っておりました。
「栞君、年が明けたら、世界の古代文明の遺跡に向かってほしい。その前に京都に同伴してほしい。そこで合わせたいお人がおられる。そのスゲジュールで動いてほしい」
 山藤会長はそのように申しました。
「おじさまは・・・」
「日本でやってもらいたいことがあるので残っていただくことにしている」
「わかりました。一つお教えいただけませんでしょうか、あのホテルでのお話の概要を・・・」
「知りたいか、それは栞君が帰ってから話させてもらおう」
「はい、その時を楽しみに、行く準備を整えます」
 その時、会長室のドアがノックされ、秘書の方が入ってこられ、
「会長、菊田総理からいつ時間をあければいいかとのお電話ございました、後ほどこちらからお伝えいたしますと返しておりますが、いかがいたしましょうか」
 私は驚きました。日本の総理が会長と、なんだか話が見えないところに飛んでいくような感じを受けたのです。
「ああ、私からご返事は返えそう、わかりました。ありがとう」
 会長は秘書の方に指示されました。
「驚かなくていい、これからもっと驚くことが起きる。何も恐れることはない。いずれわかる、その時まで心の準備をしていてくれたまえ」
 会長は私の思惑にそのように話されました。
 心の準備とは。何かとんでもないことが起こりそうで不安と好奇心が入り乱れて心臓の鼓動が早くなっていました。会長室を後にして私のデスクに座ってもその鼓動は収まりませんでした。あの夜のホテルでのうたたねの夢を思い出していました。
「やはり、何かを感じ取らせようとしてあの夢を…」
 
私は少し早めに退社して、会長が創設された八王子の学舎に向かっていました。校門をくぐると銀杏並木が続きます。のびのびと枝葉を茂らせていた葉は黄色に染まり時雨のように落ちて絨毯となり敷き詰めていました。私は何かが起こりそうなときにはここにきていました。銀杏の生命力をいただくためでした。銀杏は私の願いをかなえてくれパァワーを注ぎ込んでくれるのです。どの木もいろいろと私に授けてくれるものがありましたが、銀杏は私に勇気を与えてくれるのでした。
 会長が学舎の中にある木々に人の手を入れないというのは木々の生命力を見せるためとそうあってほしいという願望だと思っています。自由に枝葉を伸ばして葉を茂らせる、それを人も見て感じてほしいということだと思います。自然が日々再生するように人もそうあってほしいということなのでしょう。自然の偉大な再生力の前では人間の営みはわずかのあぶくにもならないことを見てきました。
風が出たのでしょうか、木立が触れ合ってざわめきが起きていました。それは喜びの歓声として受け止めたのです。

師走はのんびりと過ごさせていただきました。旅の準備など整える時間にしました。
わたしにはクリスマスも正月も無縁な存在でした。が、知らぬ間に新幹線に乗っていました。岡山でおり電車で倉敷へ、おじさまに電話を入れておりました。
おじさまはお忙しい中会ってくださいました。倉敷国際ホテルの玄関フロアでお話を聞かせていただきました。
「山藤さんは、動かれましたか」
「はい、二十日に京都で幡多様との約束をいただいております。私も同席せよと…」
「そうですか、きっといい結果の出る話し合いが行われることでしょう」
 おじさまは何もかも知っておられるように思われました。
「おじさまは・・・」
「知らないことにしておきましょう、山藤さんが言わないのに私の口からということは失礼にあたりますから、何かの思惑があるのかもしれませんから」
「では、総理・・・」
「いやいや、それは・・・」
おじさまは首を横に振られたのです。
「さっき、メソポタミア文明のはるか先の文明の遺跡を訪ねると言われていたが・・・」
 その話はもう最初にしていたのです。
「はい。二月には参ります」
「五千万年前の遺跡が・・・」
「それは・・・」
「前の生物が残した物に出会えるかもしれない…」
「それはあの、おじさまが話してくださった今の人間の前のということですか」
「あるとしたら何かを残しているはずです。先祖か脈々と続いてきた血の中にある阿頼耶識が導いてくれるかもしれません」
 私にはまったく理解の出ないことをおじさまを語られたのです。
「それは・・・」
「今、私たちは生きていますが、亡くなった先祖の人たちも私たちの姿を借りて生きているということです。それが遺伝子なのです。その遺伝子に組み込まれているのが五感六感の末那識を超えた無意識層の阿頼耶識、そこにすべてが残されているということです。不思議なことにあったときにそれを感じるのです」
 その時、砂漠に帆を張って走り暗闇の中で巨石の群を見たのは私の記憶ではなく…そう思うと身震いが起きたのです。
「栞さんの血です、悪いようにはなりません。いい旅をしてきてください。帰られたらまたお会いしましょう」
 そのように言われておじさまは何冊かのご本をくださいました。
 おじさまとはわずかの時間でしたが、おじさまはこれから徳島の剣山に行かなくてはならないとお別れいたしました。
 倉敷川の柳は葉をすべておとし裸木になって風になびいていました。私にはこの美観地区の佇まいを懐かしむより、観光というだけのために残されていることに何かしっくりいかないものを感じていました。世界の観光地をめぐってもこのようにきれいに残されているところはなくその中で人は生活をし吐息が感じられるところが多く心安らぐものを受け止めたのでした。十五の私はその当時ここにきて古を思い江戸時代を思い浮かべて人々の営みを心に思ったものでしたが、今は映画のオープンセットの中にいるような虚しさを感じていました。
 それは私が成長しものを考えることが出来るということなのかと、批判的に映るのはこのロケーションの後ろの歴史を少しは知ったということなのかもしれません。それは自然の本当の美しさ、作られたものは雨露雪風、そして、照らされて風化する美しさをそこに具現化してこそ美があるということを知ったからなのかもしれません。自然の景観をいくら人間がまねてもその美しさ以上には表せないということを今までの見聞で感じそれを知っているからなのかもしれません。
「朽ちてゆく、滅んで消えていく、そこに真実の美がある」
 いつかおじさまが言われた言葉を思い出しました。
滅びの美学をそのように表現されたのです。
 この歳で、そこまでと思われるかもしれませんが、自然も枯れた木が倒れその後そこから芽を出す新芽を生む、そのために朽ちて土になり新芽に栄養を与えるという循環の美しさを、枯れていく木々の生態に見るのです。
 人もその自然の一員として変わらない姿を見ています。私の周囲にはお歳を召された方が多くいますが、精神的には若者より感覚は溌剌としていて驚くことがたくさんありますが、それは知恵という美しさだと思えるのです。
 おじさまはこのように表現されていました。
 静寂の闇が朝焼けの中に溶け込むと、浮かび上がってくる向山。白い靄のかかった家並みに挟まれた汐入り川の流れ。川面には柳がぼんやりと影を映し、露の雫がそれを揺らしている。常夜灯が明け行く中を小さな灯りをおとしている。北にある小高い鶴形山の観竜寺から明け六の鐘が鳴りひびき風の中へ拡がる。黒く濡れた石畳が左右に延びて太鼓橋を繋ぎ、細い路地が商家の戸口を結んでいる。屋根瓦がキラキラと明かりを跳ね返しながら、緑から青、透明の景色へと色を変えて村は日々の暮らしを始める。瓦と瓦とを漆喰で貼りつけた滑子壁、江戸職人の精緻な業の格子戸、流れに沿って建てられた蔵屋敷。その下の石垣を洗う汐入り川の波の華。
 おじさまが若い頃書かれた中の抜き書きです。今はどのように書かれることでしょうか。滅びゆく前の美学と比べられてそれをどのように言葉にされるでしょうか。これが再生、いいえ、滅んでそのあとに生まれるものが再生により誕生というのではないのかと思います。ただ、古い町並みを残してもそこには美があるとは思えなくなっています。きれいに整っている、それは人間が都合よく保存しているもの、まったく年輪を感じないということは私がおかしいのでしょうか、木々にしても、建造物にしてもそこには寿命という期限が付きまとうものです。江戸時代の終わりとしてもそれらはもう二百年間の時は過ぎています。その二百年の時の流れが作った自然の美がなくなっている、そのことを言いたいのです。私はそれを求めて旅をして来ました。人間が生きていた痕跡を求めて歩いてきたのです。その温かさを捜し人間のルーツを確かめる旅でもありました。
 
 帰りの新幹線で、ひと昔同じようなことがあったと思い出しています。
「人生、こうでなくては面白くないではないか?」
 その強がりとも思える言葉が真実になって私を包んでいることに当惑をしながらも前に進むことがよりその言葉を鮮明にすると感じています。
 車窓に流れる外の景色に、時の速さを見ています。もう私は二十七歳、結婚し子をなして母になっていてもいい年齢です。それが女の幸せというのなら、今の私には少し荷が重そうです。ここでこのように強がりを書いていますが、おんなでありたいと言う希有は心のどこかに隠れています。だけど私はあなたとの思いの交換で女の一生分を使い果たしたのかもしれません。愛する、思う、喜びとつらさ、その経験が今の私を作り次へと駆り立てているとしたら、あなたに感謝しなくてはならないことです。
 関ケ原あたりで車窓の景色は一変しました。過ぎ行く遠くの山々には冠雪が白く揺れています。窓に露が付き始めています。あと一時間ちょっとで東京です。

 幼いころから父母に連れられて初詣をした私が、東京に来てからは一度もお参りをしていません。神の存在を信じないというのではなく、神に対しての存在の後に敬意を表したいというのも私の心にはあるのです。その神がどのような神なのかを知らずには手を合わせたくないというかたくなな心があるとしたらそれは不敬でしょうか。何も知らずにただ形式的に柏手を打つそれこそ神を冒涜していることのように思えるのです。明治神宮、誰を祭り、どんな御利益がという簡単なことでも知ってなくては手を合わせられないそんなかたくななことに振り回されているのです。伊勢、熱田、そこには天皇家の三種の神器が祭られている、国家安泰を請願するということくらい知っていてお参りしたいのです。
 お笑いください、そんな屁理屈が身についてしまいました。それは自然との対話で自然を見つめてきたことで生まれたものと思います。かわいくない女になっています。きっと、理屈では物事は始まらないと言われそうです。が、自然との対話ではその理屈でも持っていなくては押しつぶされるのです。
 冷え込んできました。昨年は東京の街並みがすっぽりと雪に包まれたのはいつもより早かったのです。
「寒冷化」おじさまが言われることが証明されたように感じました。
 私は少し寒い方が好きなので夜の街を歩きます。コートの襟を立てて向き合うのです。
 
 おじさまにお話ししたように京都の幡多様との面談の日が近づいてきました。

 東京を午後一番ののぞみに乗り向かいました。お会いする方がどのようなお方なのかは知らせてくれませんでした。
「何も知らない方が良いだろう。栞君はどんな人でも立派に対応できる。また、そのことで人を判断する人ではないから安心するように」
 山藤会長はそのように言われました。お会いする人の肩書で対応を変える必要はない、いつもの姿勢でいいと言われていました。京都駅から会長の関係会社の車で嵐山に向かいました。京の町の美観を損ねるものは高さが制限されていて名所あたりの建物は昔と変わっていないと言います。太秦の北あたりには由緒正しい寺も多く御陵もたくさん残っているところです。
 嵐山から渡月橋を左手に眺めながら保津川沿いを嵯峨野に向かって走ります、竹林から雪が零れ落ちています。このあたりには西行法師が、堀河の局が庵を設けて修行をされたところです。そのころには竹林はなかったと聞きました。また。このあたりにも天皇の御陵が多いところなのです。しばらく走って愛宕山が見えてきました。その裾野には川が流れそれに沿って一軒のこぢんまりとした邸宅の所で車は止まりました。まるでそこは農家を少し大きくしたほど建屋でした。そのように感じたのは私の浅い知識で見たことであることを後で感じることになるのでした。
 会長は先に降りて、その家の佇まいをじっと眺めておられました。そして深く腰を折りお辞儀をいたしました。私も降りてそれに倣ったのです。
「おお、来られたか…」
 背後から声がしました。
「はい、少し早よぅございましたでしょうか」
 会長は姿勢を戻さずにその言葉に返しました。
「何をしておられる、私はただの百姓の爺じゃ、そんなことをせんでもいい。姿勢をもとにもどされませ」
 しっとりとして響きがある声音でした。
 会長は姿勢を正し振り返りました。私はその格好を崩しませんでした。
「お久しぶりでございます、ご無沙汰の非礼はお許しください」
「何、お互い様じゃ。栞さん、そんなに固くなることはありません、お平らにお平らに…」
 私は名前を呼ばれて驚いて振り返りました。声が出ませんでした。そこに立っておられるご老人は肩に鍬を乗せ今まで田を耕していたという格好なのでした。
「私は・・・今日はお時間をいただきありがとうございます」
 と頭を垂れておりました。
「ここで立ち話も・・・さあ奥に参りましょう」
 鳥居の様な門をくぐり古石が敷き詰められた踏み石を渡り玄関へ、そこには見たことのない獅子の立像がおかれ、そのなんとも言えない風格に圧倒されていました。どこか但馬牛に似ていると感じました。格子戸が開かれ中へと導き入れてくださいました。
 そこには、
「美は簡素の中にある」が、そのまま広がっておりました。心安らぐ空間でした。置かれているすべてのものにここに住む人の雅性を感じていました。
 五十畳はあるかと思われる畳の部屋に通されました。中央には大きな座卓が用意され、その上には見るからに特上質のステーキの肉がおかれ、良く磨かれた鉄板には火が通っておりました。
「お腹の虫のためにこのようなものしか準備が整わなくて、これは私たちの訪問客をもてなす儀礼の様なものです、召し上がってください。これはステーキとして食してください。私は着替えてまいりますからどうぞぞんぶんに・・・」
 幡多様はそのように言われて部屋をお出になられました。
「会長、これは・・・」
 声が震えておりました。
「郷に入れば郷に従う」
「会長はここには何度かおいでになられておられるのですか」
「一度だけ、私が若かったころに・・・」
「もう驚くことばかりです、教えておいてくだされば・・・」
「予備知識があるといつの間にか構えてしまう。一見ただの古びた農家のように見えて、ただ何にもない空間を装い、ここにある空気は別世界の匂いと安らぎを演出していることには気が付いたようだね」
「はい、心が震えております」
「私には威圧感で押しつぶされそうな感じを与えられている。厳格な父親の前に出てかしこまっているという方があっているのかもしれないが・・・」
「あの風格と落ち着きは・・・」
「幡多さんの血…」
「え、え」
「これからおいおいわかることだ、まずはいただきますか」
 私は会長に言われるように、肉に包丁を入れステーキとして切り取ります。それを鉄板に乗せて焼いていきます。
「こんな肉は食べたことがない。この肉が但馬肉の素。その但馬が神戸、松阪、へと交配して今がある。これをいただけるということは私たちも認められたということになる。それが儀式ともいえる」
 私にはよくわかりませんでした。いただいてみて口の中に今まで感じたことのないうまみが広がり溶けていったのです。
「出されたものはすべていただくのが礼儀だ」
 と言われて何枚も焼き食べたのです。
 味覚というものは虜にしてしまいます。このうまみを知ったらほかのものが食べられるのかという思いも感じましたがこれも貴重な経験として仕舞うことにしたのです。
 幡多老人が甚平に着かえられて座卓に向かわれたのです。
「いただきました」
 会長はそういって頭を垂れました。
「ごちそうさまでした」
 私も深々と両手をついて体を前に倒しました。
「よかった、思っていた通りの方々、私の心をくみ取って頂き言葉がない。何か飲み物は・・・」
 幡多老人は問いました。
「何か、見繕って持ってこさせましょう」
 そう言って手をたたきました。用意していたのか上品なたたずまいの女性がいろいろな飲みものを運んできてくれました。
「まず、良くお越しくださいました」
 幡多老人は目を細くして言われました。その眼光は優しい光を帯びていました。
「お時間をいただき恐縮です」
「大方のことは総理から聞き及んでおります。山藤さんと総理が話されたことも承知しています。この国の再生を考えられていることはきいております。して、その道のりはどのように・・・」
「はい、まずは自然の再生です」
「国土の保全ということですかな」
「この荒廃している自然を自然の再生力に託して見ようと考えております」
「それは人の手を入れるなということですな」
「はい、自然の持つ自浄の生命力に託してはどうかということなのです」
「自然は再生力で元の姿に戻せれると御思いですか」
「はい、それに望みをかけて自然を贖いそのままの姿で放置してきました、落雷によって山火事が起こり焼けた後に新しい自然の芽が生まれることを願ってのことです」
「偶然の奇跡を・・・」
「はい、奇跡ではなく自己再生の命にと望みをかけているということなのかもしれません」
「まるで夢のような話だが、それが現実のものになれば素晴らしい、山藤さんの男のいいえ、人間としてのロマンと言えばいいのかな。ここまでの道筋にはお寺は数知れずある、また、歴代の天皇の御陵が至る所に点在している、自然の営みを思い図ってそこにわざわざ作ったということでしょうかな。奈良からここに平安京を遷都する前は、つまり都になる前には盆地特有の湿地帯には葦が生い茂っていた。真ん中を大きな川が流れていた。川の流れを叡山側に運河を造り変えた。湿地帯は干潟となって表れだした。御所を中心にして碁盤の目のように道と流れを造り今の京都の原型が作られた。
これは防御であり防災としての役割もみなしてのものです。夏は蒸し暑く冬の寒さはことに厳しいこの地に遷都したのはどのようにお考えなのかお聞きしたい…」
幡多老人は淡々と語られていました。思い返すように遠望のまなざしでした。
「当時の日本国の中心として都を京に構えられたと思います。それは地下水が豊富であること、琵琶湖の水量と同じ量の水が都の地下に蓄えられていることもその要因かと思われます」
 会長の額には汗が浮かび言葉はくぐもっていました。
 私には初めて聞く話で身を固くして聞き入っていました。
「この日本には何百という河川が滔々と流れ水の国と言われている、が、政ごとを行う上ではこの土地にあまねく大量の地下水を必要としていた。そのように理解をすればいいのですかな」
「はい、それに四方を山に囲まれ、自然の恵みは風と雨と雪、自然とともに生きる上では適所だったと思いますが」
「風雅に尽きる、それこそ人間に必要な美学だということですかな」
「平安遷都の頃、私は、京はもっと温暖であったと考えています。東山に上る朝日、雲を焼きながら西山に隠れる夕日、始まりと終わり、自然に囲まれ自然の懐で生きる、京の人たちの思いはまず生きることにこだわりがあったと思います。水が母なることだと認識していたという…。」
「山藤さん、失礼をいたしました、なんだか試していたようで心苦しいのです。言葉を替えれば人間は自然と一体であったということなのでしょうかな」
「はい、人間の最終目的はその一体だと考え、一体に暮らすにはどのような策を弄すべきなのか、考えながら今の行動が生まれたといえます」
「嵯峨野には平安当時には竹は一本もなかった、今のように竹林などなかった、古来の巨木が空をつき聳えていた、都の建設のために切り倒されて、その殺風景な後に、風が運んだか人が植えたか、今の竹林の嵯峨野が現れた。竹の繁殖力は旺盛で嵯峨野を埋め尽くすのにそんな時間はなくてよかった。その竹を使い細工をして竹の美しさを身近に置くことで生命力を貰うことを知った。人間は銀杏と竹は切っても切れない同じように生きた仲間と言えると思いますが、この二つは人間の育成に欠かせなかった植物ですよ」
「つまり自然と人間が一体となって作った人間の歴史ということなのですね」
「自然が再生した物を人間が利用した・・・」
「その頃の人たち、京を建造した人たちは自然を取り入れたものを作っています。それは自然を崇拝し疎かにはしなかったということではないでしょうか。また、木を切ってもその年輪だけ生き続けることを知っていた、それは木々が再生することを知っていたということだと考えますが、常に再生を繰り返す木をどのように使いその特質を生かすか。私はその時代には再生と自然の一体化があったと思っています。だからその再生に期待し願って自然の回復をと無謀と言われようが推進してきたのです」
「原始林にかえす・・・」
「はい、まずそこに帰り文明で失われたものをもとの形に戻す、それがとりあえず、今の人間の務めかと…」
「私たちの先祖が見た日本の風景は花開き紅葉し落葉し土に帰る、その自然の在り方を見て自然が彩るそのさまを心に感じ生きたということ、そこには余裕があって愛でる心からなん通りの言葉も生まれた。万葉集の古今和歌集の歌がそれらを物語っていることになる」
「人の心は自然の在り方と道連れと思っています」
「総理には国有林を増やすように言った」
「正しい見識だと拝察いたします」
「國民が生きる上で必要ならそれにこたえるのが政治だと、災害の危険があるところには人間の手を入れなくてはならないが、あとは野生に育てさせ…この件は山藤さんと話し合われたと言っていた。これからの地球がどのように変化するのかを先読みをしなくてはならないとも言った。京を都になぜしたか地下水と言われたが、まさに人間の生命を握る大動脈だった。そのことを平安の人たちは知っていた」
「ありがとうございます」
「さて、今日訪ねてこられた要件は・・・」
「見守っていただきたいということなのです。私があら治療をするかもしれませんから・・・」
「風よけになれと・・・」
「はい、嵯峨野の竹に、銀杏の繁殖力、それを自然の総体として考えております」
「一つ、この愛宕山のふもとの庵は気に入ってもらえましたかな」
「堪能させて頂きました」
 お二人の会話にはついていけませんでしたが、一種の腹芸として聞き入っておりました。
「栞さん、この二人の年寄りの話は若いあなたに通じたでしょうか」
「はい、京を造形するために自然がなくては成り立たなかった、それも後に自然が再生する、今でいう供養を考えての都づくり、それらのことをお話になられながら、自然との一体化、自然の再生力に託すということだと聞かせていただきました」
 私は何を言っているのかただ思っていることを口にだしていました。聞き入ってくださる幡多老人からは非常に大きなオーラ―を感じていました。会長は額の汗を拭きながら大きく息を整えておられました。
「そのように感じられましたか、私はこの国のすべてが愛すべき存在であるのです。世界をあるいても日本の自然を超えるものは見たことがない。山藤さんもその考えは変わらないことだろう。今まで山藤さんと栞さんが行ってきたことは私の耳に入っていた。この国を思う人たちからの情報です。待っていたのですよ、何か私に言ってくるのを、私の微力ながらの協力の依頼を、今見守っていてほしいと言われた。そのことは私がお二人の後見として存在することを暗に世間、いや、口やかましい連中に知らせることでもあるのです。動かなくてはならないと思っていました。その時期を山藤さんは作ってくれた。私のことは私から口にはできないが、おいおい知ることになるだろう。京の都を借りて自然と人間を話したが、それが全国的にその実態を広めなくてはならない。栞さんも、人間にとって大切なものとは何かを知っていると見ました、京の話も最初としての相互理解のためにその一端を・・・。納得がいきました。山藤さんが見守ってほしい、それは私という存在を認め、改革に対しては黙認してほしいということだろう。その風よけにはならせていただく、また、資金が必要なら、この国の国土と自然を取り戻す担保にして出してもいいと思っている」
 幡多老人は爽やかな言葉を何気なく語るように見えました。
 人間に必要なもの、水と二酸化炭素と太陽の光、それが人間の誕生の母であることを知りたかったのです。自然はその二つの元素で成り立ち維持されていることを深く覚知したのです。
「そこまで…。いや…。ありがとうございます」
 会長は深々と頭を下げられました。
「いやいや、そんなにへりくだることはない、私の代わりにと思っています。総理には時に言葉を投げて置きます」
 何もかも好奇に満ちていました。玄関の獅子の立像と言い、出された超特質のステーキと言い、歓待の儀礼といい、それでありながら自然と受け入れた私の心は何かに支配されているように思えたのです。夢の中の出来事、そういう表現がぴったりであったのです。私は少し余裕が生まれ床の間に目を移しました。そこには徳島の剣山の険しい姿の水彩画がかかっていたのです。それは私の心から消えることのないものとして残ることになるのです。
 「帰りに、田畑でできた大根でもお土産にしたいと思うが、どうかな」

 待たしていた車に乗り愛宕の幡多老人の館を後にしました。会長は緊張が解けたのか、
「よかった」
 と一言つぶやき瞼を閉じられました。私も疲れましたがそれは心地いいものとして体を弛緩してくれました。

 車は保津川峡を下り嵯峨野にでて嵐山から衣笠山の竜安寺へ向かっていました。石庭を前にして廊下に座り石の祭典を眺めていました。しばしの心を平らにする時間を取りたいと会長の提案であったのです。無造作に置かれたように見えて計算しつくされた配置、落ち着かされる空間がそこにはありました。
「ここに座っているだけで心が落ち着く、ただの石と岩が、十五の石が砂の上に置かれているだけなのに、裸足で歩いているようなこの安心感は何だろうか。この竜安寺付近と西山の石と岩が四石、丹波の山岩が二石、そのほかは録色片岩を集めて九石、室町の末期に創建開山されている。この石庭の名は石の並びの配置から別名として「虎の子渡しの庭」「七五三の庭」母の愛情が隠されている縁起のいい名前なのだ」
 会長はポツリポツリと言葉を吐き出すように言われたのです。
「古い古刹名刹には人々が訪れ落としてくれた思いがそこにかしこにあるような気がしています。あの緊張感をほぐしていただいています」
「そうだな、この日本を作った人の前では私の行いなど風と同じようなもの・・・」
「幡多様はどのような方なのでしょうか、総理とのパイプもおありと聞きましたが」
 せき込んで聞いていました。
「栞君が感じた通りのお人だ。お土産に大根をくださるようなお人だ。古来には野菜の葉を食べなかった、根と種と実りをいただいていた。大根は煮ても焼いても、また何と一緒に料理をしても食べられる根菜、土産の意味はすべての人の中に溶け込みことをなせという意味…と受け止めた」
 私は会長の受け止められた言葉を反芻していました。幡多老人の京の都のことも大根のことも直接的には関係ないことのようにも理解できないけれど、自然ということではすべてがつながっていることでした。
 石庭の石と岩に見る人は何を感じ石と岩になるのか、渋川の浜で感じた不思議な感情の揺らめきをここでも感じていました。古の人の嘆息が聞こえていました。
「可能さんに、徳島の剣山に行ってもらったことは、栞君も知っているだろう。私がある思いで願いしたものだ。たぶんその足で出雲、伊勢、熱田へと向かわれたと聞いた。ご足労をおかけした、栞君からも労をねぎらってもらいたい」
「剣山と出雲、伊勢、熱田との関係は・・・」
「可能さんから何か頂いたのではないのかね」
「はい、御本を・・・」
「そこに答えがあるのかもれぬ。事は早急に運ばないことだ、時がくれば眠りから覚めたように開かれるものだから」
「はい、おじさまが…」
 いただいた本のページを開いておりませんでした。
「古事記の日本書紀の時代を少し歩いてもらった」
「それもこの日本の再生と…」
「その頃のことを、自然と人間がどのように相対していたのかを…」
「そうでしたか・・・」
 私には何もわからなくて、言葉を投げてその言葉の裏を読もうとしていました。
「この石庭にしても十五の石と岩があることは知識として思っているだけで、十四しか見えない。人間は知識を重んじ、また、実態を前に戸惑う。それは錯覚ではない、隠されたように見えることが次なる探求心を育てるともいえる」
 私は石庭の石と岩の数を数えていました。十五個目を捜していました。
「答えはおのずと後から現れる、まずは、東京に帰り旅の支度をして、知識でものを見るのではなく実存をその目で見ることだ」
「はい、そのように…」
 私はこの日のことは一生忘れられないと思いました。何か不思議な時間の流れの中にいました。
     
     2

 私は渡航前の時間を一週間いただき、倉敷を尋ねました。おじさまとお会いするためでした。いただいたご本はすべて目を通していました。内容はモーゼ、ダビデとソロモン、ユダヤ民族のことが書かれ、ユダヤ教の苦難の歴史がつづられていました。それを読んでおじさまがなぜ徳島の剣山に登られたのかを理解できたのです。十二支族がなぜ十支族に分かれ世界へ散らばったのかを知り、その中の人たちが日本の淡路島に二十一万人渡来していることも、徳島への、兵庫へと移り住んだことがわかりました。
 
何が起こっているのかわかりません。今まで学んで知っていた知識が水疱に帰しているようです。さらなる人間にとっての燈台探しの旅が始まったと言えます。あまりの急激な変化についていけそうにもありません。ただ茫然と見ているだけ、です。だれかにすがりたい、何かにもたれかかりたい、そうでもしなくては心が倒れそうなのです。倉敷に来たのもおじさんとの話が目的ですが、あなたと同じ空気を吸いたいという思いがあるのかもしれません。いいえ、はっきり言って支えてほしい、頑張れと言葉を投げてほしい、すっかり前が見えなくて弱気になっています。
今、この前におじさまと話した国際ホテルのロビーの椅子に座って思っています。ここからあなたのいる場所へは車で十分の隔たりです。この不安を取り除いてくれるのはあなたの熱い抱擁以外にはないことでしょう。こんなに、そんな気持ちはすっかり忘れていたのです。が、何か押しつぶされるような恐怖を感じてどうしていいのかわからないのです。顔が見たい、いくら強気に立ち振る舞っていても女はよわいものだと実感しています。東京ドームで、東京タワーで寡黙なあなたは話しかけても「ウン」としか答えてくれなかったけれどあの時は幸せでした。二人に灯が互いを照らしていました。こんな泣き言を書くのは初めてで、迷惑なのは承知しています。菊田総理のこと、幡多老人のことその前で小さく震えているのです。今日、倉敷に来たのもあなたの住む倉敷に少しで近づきたいということと、おじさまにこの不安を投げかけてアドバイスをいただくためなのです。今ほど燈台の光をほしいと思ったことはありませんでした。
そんな沈んだ声が電話で届いたのかおじさまは忙しい中を会ってくださるようです。
 冷めていく珈琲がとても苦く感じられます。今月の終わりにはイラクに入りメソポタミアの文化遺産を尋ねる旅に出ます。ここに来る前に昔住んでいたところに寄ってみました。表札は変わっていて・・・何をしているのでしょう。倉敷を離れなかったら何か違った道が始まっていたと思うと懐かしく感じるのです。それはあなたへの直線の道でした。悔やまれるのは家のことを思い倉敷ではなく東京に就職したことでした。いまさら、これが私の道であったのです。こうなることは遠距離恋愛が崩れる不安があったときに倉敷に帰るべきでした。
 おじさまはどのように判断されることでしょうか。
「こうでなくては人生面白くない」と言われるでしょうか。
「待たせましたか」
 おじさまが前に立っていました。
「いいえ、早く来て考え事をしていました」
 おじさまは前に腰を掛けられ少しの間私を見つめておられました・
「少し心が乱れているようですね。まあ無理はありません、短い時間にあれほどの体験をされたのだから」
「そのことは・・・」
「山藤さんから連絡を頂き・・・」
「そうですか・・・」
 私は短く答えるしかありませんでした。
「今はイラク、チグリスとユーフラテスに挟まれて栄えたメソポタミア文明を尋ねる前に・・・」
「いいえ、そのこともありますが。今起こっていることをおじさまに聞きたいと…」
 私はすがるようにいいました。
「まず、この前の大戦で日本の各地は空襲をされたのになぜ奈良と京都はなかったか…」
「え、え」
 そのことは初めて知ることでした。
「アメリカは奈良と京都の文化財保護だというが…」
 おじさまはなぜか言葉を言いきることなく戸惑うように端折っているのです。
「無理なお願いでしょうか」
「さて、幡多さんのことは聞きました、が、私には言える立場ではありません。むしろお会いした栞さんの方が何かを感じたのではありませんか」
「小柄お方でしたが、ものすごい威圧感があって震えておりました。会長とのお話は全く耳に届いてはいなかったのです。
何か異様な雰囲気の中でまるで神社の拝殿にいるような感覚におそわれておりました。神聖な場と例えればいいのでしょうか、神と対峙しているような錯覚だったのです」
 私は言葉を一気に吐き出しておりました。
「それが拝礼の儀式なのです。玄関横に獅子の立像がありませんでしたか・・・」
「はい、ございました」
「最上のステーキが…」
「はい」
「そうでしたか、栞さんは山藤さんからは幡多さんのことは何も知らされていなかった、栞さんは幡多さんによって儀式を行なわれたことになった。この国を、国民を守る使命を試されそれにこたえることの資格をいただいたのです。その印は幡多さんが作られた大根のお土産…」
「あの、ダイコンが…」
「幡多さんは近しい人にも手土産を持たすことはまれです。認められたということです」
「ということは・・・」
「来月からメソポタミア文明の遺跡を訪ね。バビロニア、アツシュリア、シュメール文明の中から日本とのつながりを探し当てなくてはならない責任を任されたということです」
「私には、重すぎます。考古学も学んでおりませんし…」
「栞さんの目で見て感じてほしい、それが歴史の真実を解き明かしてくれると思われたと思います」
「私はどうすれば・・・」
「何も恐れることは無い、けがれない眼で見ることが正しいものを見るということです」
「そのこと、おじさんが言われた奈良と京都の空襲が…」
「なぜつながるのかと聞きたいのですか、これは言ってはどうか・・・山藤さんは栞さんの無垢の心で見て判断してほしいということらしい、余分な知識なしに見て感じてそれから答えを・・・」
「予備知識がない方が迷わされることがないということですか…」
「私が書いたユダヤ民族が淡路島に渡来し、何を徳島の剣山に隠したか・・・それも感じ取ることが出来ることだろう」
「はい、わかりました、行ってきます」
 おじさまとの会話で全身がくたくたに疲れていました。
 何か途轍もない使命を背負わされたということは理解できました。
 未知に対しての不安と何かを期待する好奇心が私の心に芽生え始めていたのです。
 
 振り返ってみて、あの時から私の運命は今を予言していたようにも感じています。偶然と奇跡、が私に齎したものはあまりにも大きく重いものだということを実感したのです。恐怖、いいえ、私の心にある冒険心、見知らぬ世界を見ようとする高揚感、いいえ、探求心にまで生まれようとしていたのです。
「何も参考になれなくて済まない、知識はただ知っているということで、本当のものを見つめたわけではない。私も山藤さんの思いを理解し栞さんに、知識という汚れたものではなくその純真な目で捉えてほしいから…」
 おじさまは私に歴史の真実を私の目で見つめ感じてほしいと言っておられるのです。
「今のイラク、メソポタミアは身の危険が伴う地だが、伴走の警護は用意すると言っておられた。その場に立って五千年もの昔その地にどのような文明があったのか、それにより人間はどのように生き、何を残し、またその地を離れなくてはならなかったか、そのことで世界の文明の分布がどのように移り変わりを見せたのか・・・。そして日本の国が変化して行ったのか…。私の本に近づいて答えを見つけるより、栞さんが理解することだろうと思う」
「もう弱気を起こさずに後悔のない旅をしてまいります。ありがとうございました」
「この地球は深淵に尽きている。まだわからないことばかりで想像する位でしか出来ない、半端な知識、証明されていない現実、それを栞さんのような若い人たちが開拓して解き明かしてほしいのです」
「はい、チグリスとユーフラテスに挟まれて生まれた文明、そこで人は何と遭遇しどのように生きたかをこの目でしっかりと確かめ感じてまいります」
 おじさまのお話ですと、雪解けを待って北海道にということでした。深くはお聞きいたしませんでした。
 おじさまとのお話は終わりました。
 
私は新幹線に乗って父と母のいる宮崎と鹿児島の県境の街都城へ向かったのです。父と母は息災でありました。少し髪の毛に白いものが増えていましたが、年とともに賭け事は潮が引くようになくなったと母は言っていました。今は二人で支えながら暮らしているようでした。この町で生まれ幾多の道のりを過ごし、今故郷へ帰りその腕に抱かれている安心を感じているようでした。もういい歳なのだから所帯を持たなくてはならないと口癖のように言いました。父と母は私の生きて歩んで来た道を知りません。女が生きる幸せを好いた人と巡り合いその子を産んで育てながら生きていく、昔のおとぎ話のような考えを持つ昭和の見本のような人なのです。私がしている仕事はまだ教えてはいません。私がこの国の未来を変えようとしていることなど言えません。それがたとえこれから訪れる未来の危機に相対峙していることなど老いてゆく両親には負担でしかないことを知っていましたから…。
高千穂の峰、ここに来るたびに何かひきつけられる思いがするのです、荘厳という言葉が一番似合う言葉なのです。
ここに日本民族、国を作った神が降臨した、幽玄の中に厳な雰囲気に包まれています。この神に逆らうことになるかもしれないという戦慄が身を震わせています。
高校生の頃高千穂を眺めてはあなたとの未来を膨らませていたことを思い出しています。平凡でもいいあなたのそばにいるだけで幸せなのだと思っていた幼い心のときめきを感じて胸を熱くしています。イザナギとイザナミ、のようにと、あなたと私の未来を何度思い夢見たことでしょう。国を作るのではなくささやかな家庭を作ることを夢想したことでしょうか。
何を引きずっているのでしょう、これから未知の世界に飛び込んでいく不安と慄きがかつての思い出にすがり落ち着かせようとしているのでしょうか。
怖いのです、今までの知識では測れない新しい世界を掘り起こすことが。そのことが砂漠の中の燈台の灯りにしなければならぬ責任を重く感じているのです。
あなたのことを思い忍んで逃げようとしているのです。
「暗闇の中を歩くのには勇気だけでは進めない、そこには夢がなくてはならない」
 いつかおじさまが言ってくださった言葉です。
「夢」
 その言葉の意味は人に対して夢をあたえるということなのだと知っています、でも、なぜか自分の夢を見ることが先になってしまうのです。
 心の巣窟の中に迷い込んでいます。今だけは許してくださいとすがっています。あなたとのことを赤裸々に語ることを許してくださいと。正直、あなたの胸で泣けたらそうすれば涙を振り払ってイラクへの道を選択できるということを強く感じています。
 五千年前の人間がどのように生きどんな文明を造り、そのことは今の私たちの生き方を指し示しているのです。
 遠くに鹿児島の灯りがにじんで見えます。今日だけは弱い女でいることを許してください。
 天孫降臨、今、何もかも吐き出して新しい私が夕景の中に立ち、燈台の灯りの中に迷いながらたたずんでいます。
 シュメール文明の遺跡は私に何を語り掛けてくれるだろうか。エルサレムで敗れたユダヤ民族はバビロンまで奴隷として連れてこられ、そこでバビロン文明のなかで何があったというのか。またそのあとの、シュメール文明にどのように繋がりかかわったのか。日本の淡路島、徳島剣山、出雲、伊勢、熱田、諏訪への道のりは、高千穂の峰に立ち思いを廻らせていると、すっかり感傷に支配されていた思考はなくなりいつもの私に帰っているようでした。
 これから新しい出発をする、人間の根源を照らす燈台を捜して…。
 古事記と日本書紀の世界をこの高千穂に置いて行きます。何も知らぬそのことで新しい出会いを作るためにです。

 東京に帰り渡航までの一日をマンションにこもりアロマを炊きモーツアルトを聞きながらその中で精神を整えていました。窓の外はすっかり冬の時間が足早に過ぎていくのです。もうすっかり神宮の木立は葉を落として寒さと向かい合い寒さに立ち向かう様にりりしい姿を見せていました。その空には新宿の高層ビルが立ち並び威圧するかのように立ちはだかっているのでした。見慣れているそのロケーションにいら立ちを感じたのはなぜなのでしょう。そのビルの中で何を思い考えて仕事をしているのか、家庭を守るため、そのために懸命に勤めあげる姿には微笑ましい幸せがあることを信じたいのです。その幸せが永遠に続くことを願っているのです。
 私は姿見に全身を映して自分を確認することがあります。昨日の私ではない私を見るためなのです。それは明日を感じることに繋がるのです・
「ルール―ル―・・・・」
 携帯の音が響きだしていました。
 それは山藤会長からのものでした。
「少し時間を貰えないか、忙しいのはわかっている。夕食を兼ねた旅立ちの祝いでもどうかな」
「はい。お伺いいたします。ありがとうございます」
 断る理由がありませんでした。私は簡単にシャワーを浴びてパンツルックに上は白いセーターその上に真っ黒な長めのコートを羽織りました。
 森ビルの最上階の個室が用意されておりました。
 そこからライトアップされたスカイツリーが一望できるのでした。色彩に彩られた日本の建築の粋を集めて作られた電波塔の美しさは未来のもののように感じられました。
「遅くなったようだな」
 会長はそういって入ってこられました。
「いいえ、わたくしも先ほど…」
 フランス料理のフルコース、それに高級なシャンパン、それを親しみながら会長と話をしました。
「遅くなったのは菊田総理と少し話をしていたのだ。今回のことでお願いをされた・・・」
「それは・・・」
「総理としては、古事記、日本書紀という日本誕生の歴史を覆すことに神経質になっている。それはまあ、当たりまえなのだが、調べる事に対しては何も言わないが世間に対しての発表はさけて欲しいとのことだ。研究はいくら進んでも構わないが、歴史が明らかになることで国民に動揺があっては困るということだ。私はそんなつもりで調べているのではない、五千年前の歴史文明から現在の人々の生き方を探り当てそれを礎にして人間の生き方、幸せの根源に迫って変えたいと申し上げた。政府もエルサレム、ユダヤ古民族のことはいろいろな角度から調査しているらしい。今回、文化庁を京都に移転することもその一環だと言っておられた。いずれ協力をとの申し出もあった」
 政府の在り方と民間の在り方、そこには想像力の違いが出てくることを認識したのです。直線的なものと広角的なものの違いを感じたのです。
「私はそれをどのように取ればいいのでしょうか」
「君が見たい、感じたいということでいい、カメラマンとシークレット二名を付け、現地でガードマンを数人付ける手はずができている。イラクとクゥエートはまだ治安が十分ではないから君の安全のために手配した」
「ありがとうございます、ご心配をいただき心置きなく現地に入れます」
「ああ、可能さんには諏訪湖の調査を依頼した」
「それは・・・」
「淡路島から長野へ・・・」
「奈良に残り、平安京を造り、・・・そして諏訪湖へと…」
「ユダヤ民族の流れをおじさまは追われるということですか」
「そういうことになる。その時代に何があったのか、それを現代に生かすことがこの国を救うことなのかもしれないと思ってな」
「歴史学者、考古学者の説を受け入れなくて別のということですか・・・」
「真実を捜すことに私は躊躇をしない」
「それはこのわたくしも・・・」
「あの幡多さんが執拗に平安京のことを…平安京にはロマンがいっぱい詰まり転がっている。メソポタミアから帰ったら可能さんと京都を調べ尽してほしい…。京都、平安京はヘブライ語でエルサレムということになることを…」
「ええ、平安京がヘブライ語でエルサレムということですか…」
「総理が文化庁を京都に移すのもそのかかわりがあるらしい…」
「おじさまは・・・」
「了解してくれた。君が帰ったらということにしておる」
 なんだか何が現実なのかはわかりませんが目の前に得体のしれない獣が居座っているということを感じていました。未知から未知へ・・・まるで文明の遺跡を捜し歩いた先人の冒険心がわかるような興奮を覚えていたのです。
 会長と別れ、靖国神社の前を歩いていました。荘厳な社の前で立ち止りました。肌寒い風が流れていました。その時何を思ったのか、心のバランスを崩しているかのようにあなたの携帯につなげていました。呼び出し音が何回か・・・。
「はい」
 低い声が耳に届きました。何も言えずに耳に当てていました。そしてすぐに切ったのです。
 ああ、あの声、聴きたかった声でした。その時にはシャンパンの酔いが体に回っていたのです。
 なんということでしょう、緊張感が潜在する思いを引っ張り出しての行為でした。

 お供の方たちと今、羽田のウイングに立っています。

     3

 もう、桜が花びらを散らし葉桜になっています。寒椿の頃にメソポタミアに向けて飛び立ったのですから二か月も滞在していたことになります。イラクとクゥエートの国境地帯、チグリスとユーフラテス河が交わる三日月地帯に栄えたのがメソポタミアを代表するシュメール文明なのです。そこに古代の都市「ウィル」が存在していたのです。私たちはそこを目指しました。クゥエートからイラクに入りました。国境あたりは砂漠の荒涼とした平原が続いていました。
 私とカメラマン、ふたりのガードマン、それに現地の、いいえ、謎の護衛の方が五名ついてくださいました。イラクが戦場になったとはいえ、戦いの後の証は全く見ることができませんでした。

 それはイランの近くシリアのあたりでの戦いがあり、イラク北部からバクダットにかけては平穏とは言えなかったのです。護衛の方たちが常に身の危険というものを感じなくていい環境を作ってくださっていました。それは会長の私への危機管理であり、あとで聞いたことですが幡多老人が組織の一員を動かせてくださるという心配を頂き周囲を警護していてくださったということでした。メソポタミアは砂漠と化していました。当時は緑なす楽園が続き食料と水、周囲の草原には家畜と野生の動物が生息していて肉食も盛んであったようでした。また、山には巨大な木々が生い茂りのどかな自然の中に遊んでいたということが思われるものでした。
 バスをキャンピングカーにしたような堅固な乗り物での移動でした。二台が連なってシュメール文明が栄えたウルクに向かいました。チグリスとユーフラテスに挟まれた川の間という意味がメソポタミアだということも教えていただきました。そこには豊かに水が流れ肥沃な大地を形成していたのです。

 メソポタミアから帰ってすぐに会長に面会を求めたのです。無事に帰ったという報告と、あちらでの身の危険に対する警護に感謝をお伝えするものでした。
 秘書の方ら今緊急の事案が持ち上がりその対処に一時間かかりそうなので一時間半後に尋ねてほしいという言葉を伝えられた。
 緊急、何が…。
 私は屋上に上がりぼんやりと東京の空を見上げていました。木々の花粉が飛んでいるのかその匂いが鼻をくすぐっていました。空は少し霞がかかりスカイツリーが灰色の中に見え隠れていたのです。
 シュメール文明のウルクの建造物を想像していました。砂漠の中に隠れていたものが発見されたとはいえそこは木々が茂り緑の大地の中に作られていたはずであったのです。その恵はチグリスとユーフラテスのもたらすものだったのです。二つの川の流れの間にシュメール文明が栄えていたのでしだ。
 何千年か後にこの東京はその時代の人に発見されどのような奇異の目で見られるのか、文明は一時期栄え、場所を変え蘇り、時代が変わっている。
 私が知りたかったのは文明の中で人類はどのように生きていたかを想像することでした。営みと言った方が良いかもしれません。男と女、年寄りと子供たちが何をしていたのか、そこにこだわっていたのでした。
 イラクの名は新しいものです、シリアと一つの名もない大地であったのです。夕景の中に確かに存在していたものなのです。その文明は…。地球は寒冷化、それ故に地メソポタミアは乾びることなく緑の肥沃な平原が続いていたのです。
いつもそこに立っていることに精神を集中させていました。
 この東京が…。コンクリートは元の砂に帰るでしょう。そして、鉄骨は錆びついて崩れて土に溶け込むことでしょう。残るものは日本橋、皇居の石垣、明治神宮の花崗岩で作られた鳥居だけなのかもしれない。
 人間が作った文明に対する自然による再生なのかもしれません。

 私はあの時見たのです・・・。
 その夢は、私が砂漠の中に帆を張った車で走っているものでした。砂はさらさらと流れ生き物のように感じられました。この今は砂漠になっているけれど茫々とおい茂る巨木が埋め尽くしていた時代があることを知っていました。砂漠は人間に犯されないように自然が拒否しているものだと考えました。それも自然が再生するためなのだと思いました。いつのまにかすっかり日は落ちて気温も低くなり漆黒の闇の中を走っていました。暗闇に目が慣れたのではありません、はっきりと五メートルはあるかと思われる巨石が何本も立ちふさがったのです。それが見えたのです。そのはるか向こうに小さな灯が見えたのです。

シュメール文明の中で現在を何度も見たのです。何かの記憶が呼び覚まされたような不思議な感じがしたものでした。
 見聞したこともないのに記憶が呼び覚まされたようなと言えばわかるでしょうか…。
 
 チグリスの流れに無邪気に戯れる子供たち、乙女たちが長い髪を流れの中で遊ばせる姿、まさに現代の姿と重ねても決して不自然ではないと思われるのです。

「探しました、ここでしたか…。会長の言葉を伝えます。二十時に森ビルのラウンジで待っていてほしいということです」
 秘書の方は息が上がっていました。
「はい、わかりました、お伺いすることをお伝えください」

     4

 山の手線を西回りで、原宿駅に降り立っていました。

 私はこの駅に降りるのが好きでした。原宿の町は十年前に比べれば開発は隔世の発展を見せて当時を思い返すこともできないものでしたが、この駅舎は時間が流れていないようで忘れられたようにぽつんと残されているのです。ドイツはベルグの山小屋を思い出させてくれるのです。この駅舎の雰囲気が若い人たちの心をとらえていることは当たりまえでしょう。ここにロマンを感じるのです。また、裏参道の入り口、明治神宮への始まりなのです。
 砂利石をしっかりと力強く踏んで拝殿の前に立ちます。無心で柏手を打ち、手を合わせます。何も請願は致しません。ここに立ち生きていることの実感を持つことが敬いの姿勢であることを知っています。
 爽やかな五月のみどりの風が樹木の森を潜り抜けて風の音を運んできます。大小の樹木はこの地を樹林の森に変え、海にしているのです。
 ここに立つとなんと心を解放され癒されるのでしょう。人類はどのような文明の中でも心を洗浄する建物を作っていました。自然と一体というものでした。
 私はヒールを脱ぎ両の手に持ちながら砂利石を踏んでいました。足の裏から自然のエネルギーが注ぎこまれていました。
 この大社の雰囲気はシュメールの遺跡を前にしたときに感じた安堵感でした。
 
 明治の初めここは草木が生い茂る荒れた土地でした。明治神宮建造の号令が出ると、土地は造成整備されて、あまねく地方の木々が植林されその成長を計算され四季にも緑なす森を作り真ん中に社殿が建造されたのです。地方の木々が植えられたのはその地に安寧が続くようにと言うことと、日本を統括する社として。ここには明治天皇が祀られています。
 東京体育館、国立競技場、神宮球場、神宮の森、一つの別世界を作っています。これもシュメール文明の中にうかがえるものでした。
 足の裏に過ぎ去った時間を感じていました。芝生のやさしさが身に沁みました。
 なぜか、
「貧しいから何もあなたに差し上げることが出来ません。せめて五月のみどりの風と柔らかな日差しとあなたを愛する心で勘弁してください、送ります」
 そんなイギリスの作家クローニンの言葉が浮かんでいました。

 私は森ビルのラウンジには二十時前に着きました。案内されたところは出発前に会長と食事をした部屋でした。ドアが開けられ導かれました。総ガラスの窓の外を眺めていた二人の人が振り返ったのです。少し暗くて判別が出来ませんでしたが、そこにはおじさまと会長がおられたのです。
 私はお二人を見て、
「遅くなりました」と深々と頭を下げました。
「時間にはまだ少しあるようだ」
 会長はそう言っておじさまをテーブルに誘いました。
「元気そうで安心しました」
 おじさまは頬を緩めて言われ細い目がより細くなっていました。
「はい、栞はいつも元気です、それが取り柄ですから」
 お二人は顔を見合わせて笑っておられました。
「どうぞ」
 三人がテーブルに着き互いに黙礼をして挨拶をかわします。
「今夜は難しい話はなしにしよう。決定したり結果が出る話はこの席に合わない。互いに元気な顔が見られたことに感謝しょうではないか」
 会長はお疲れの様でした。何があったのか、案じられます。
「お疲れでした、栞さんの顔を見ればそこに答えが見つかります」
 おじさまが笑顔を向けられました。そのお顔にどきりとしました、それはあなたの顔になっていたのです。
「可能さんには忙しい中を来ていただいた。今までと今後の修正のために話に付き合ってもらった」
「ということは・・・」
「それは・・・」
「可能さん、私が言おう。総理からの要望だった…難しい話はやめようと言いながらやはりこの話になるのかな…」
「私たちが動いていることに対しての・・・」と言って一息つかれました。
「夜は長い、食べながらでどうかな」
「結構なことでしょう」
 私は黙ってお二人の心の動きを見詰めていました。
 会長は合図のベルを押されました。しばらくして、
「別室にご用意が出来ていますのでお席を移っていただけませんでしょうか」
 ウエイターの案内で別室へと場所を変えます。そこにはテーブルの上に大きな特上と思われるステーキ肉の塊が用意され、シェフが待ちかまえていました。
「これは・・・」
 私は驚いて声を発していました。
「幡多御老人の言われる「契約の箱」の儀式を真似てみようとしているのだ、それだけの価値がある話し合いになることだろう。ご老人もお許しくださることだろう」
「拝殿の奥の契約の箱には特上のステーキが収まっていて、許されたものにしか食べさせなかったという、そのことですか」
 おじさまは声を落とされ厳粛に言われました。
「あの時の…」

「さあいただきましょうか…」
 シェフがナイフを手にもって厳かに言いました。
「この特上の肉は但馬から直送させました。わたくし柿本が不束者ではございますが調理させていただきます」
柿本さんが肉にナイフを入れ二センチくらいにスライスして鉄板の上で火を通してゆく、じっと集中して焼き上げていく。緊張が走っていました。肉挟みを使いながらナイフは芸術的を遣って肉を切り分けていく。
 室内の音響が中東のものに代わっていたのを思い出します。それはシュメール文明のさなかにいるような錯覚を齎すものです。部屋の明かりが少しずつ落ちて柿本の手先と肉に細いスポットが当たっている。
 なんだか胸が熱くなってきています。一つのショーを見ているようでした。そのショーは続いていました。

 食事がすみ元の部屋に戻りました。
「可能さんにも話したのだが、京都のことは政府、文化庁に任せてくれないかということだった。栞君も知っての通り政府は文化庁を京都に移転する、その目的は、今のように情報が錯綜する前に結論を出したいということで文化庁を京都にもっていき本拠地にして改めて調査し明らかにするということだった。シュメール人のこともユダヤ民族のことも、そもそも大和朝廷のこともこれほど情報が行きかうと政府も本腰を入れなくてはならないということだろう」
「平城京から平安京、そこに至る駆け引きは闇から葬るということになるかもしれません」
「それも一つの在り方として政府としてはいかんともしがたいところに立たされているということだ。この総理の要望を幡多御老人はどのように…」
「さあー、もしかしたらご老人の意見かもしれない」
「それはどういうことなのでしょうか」
 じっと聞いていてはらはらしながら問うていました。
「まだ明らかにすべきではないというお考えなのかもしれない。情報が今以上に氾濫してどうしてもというところまで現状を維持したいということかもしれない。未完成、曖昧の中に真実があるとしてもそれを表に出すと国民は動揺し、今までの歴史は嘘の証明であったことが歴然となる。それをまず今はさけたいということだと私は思っている」
「全く、おっしゃるとおり、まだまだ歴史を信じている人たちが多いいのは事実ですから、それをいっぺんに遮断するということもどうかと政府は考えていることでしょう」
「ということは古事記、日本書記は・・・」
「それは私たちが知ってはいても言うべきことではない」
「真実の中に嘘があり、嘘の中に真実があるということ…」
「日本の中にはそれを美徳とする人が多い、そこに日本の文化は花開いたともいえる。つまり嘘という遊びを添えることで深みを表すという、美意識…」
「現実をそらし後世の人たちに託するということでしょうか」
「その手もある、いやその通りかもしれない…」
「一筆残す、・・・曖昧な表現にする…、これは日本独特の表現として、要するに相手にゆだねるという…」
「とにかく、可能さん、栞君、京都とは、諏訪はここでとどめておきたい。一万三千年前の山形の遺跡から出土された縄文の女神、そして北海道に目を向けることには全力を出していただきたい。そこには日本のルーツがあると思える」
 ワインとカクテルが運び込まれ火照ったのどを潤します。

 シュメール文明、暦が作られ、七日を一週間に日月火水木金土と名付け、地球と月の成り立ちを知り、太陽の惑星の名前まで決めていたこと、巨大な建造物を立てるのに必要なゼロの概念の高度な数学、農耕に必要な灌漑の整備と鉄と青銅の農機具の充実、脳腫瘍、白内障手術の医学の進歩、ワインとビールと人生の楽しみ方、宗教に縛られなかった庶民の暮らし・・・世界最古の物語「ギルガメッシュ叙事詩」・・・。
 人はそんな文明の中で自由という生き方を享受していたのだ。奴隷と言え拘束されずにその文化の担い手として働いていた。
チグリスの流れに無邪気に戯れる子供たち、乙女たちが長い髪を流れの中で遊ばせる姿、まさに現代の姿と重ねても決して不自然ではないと思われるのです。
 私が見詰めていたのはこの景色だったのです。

「栞君、歴史を現代と重ねることは無い、その歴史から何を感じ、何をどのように今に生かすか、君が見たことを今の世に示してほしい、それが歴史から学ぶということだ。君は無限のなかにあるものからいろいろな考えが生まれ、また消えていくことだろう。それでいい、純真な心で受け止めて歴史と現実を対比させながら作ることを私は望む」
「山藤さんの言われる通り、見たものを今に生かす事の大変さを知ることで前進できる」

     5

達成感と虚脱感、快い疲労が心を満たしています。
 少し熱めのシャワー全身に浴びていると心も体も解放されるのです。睡魔が誘惑をして来ています。一糸まとわぬ体で部屋中を歩いているのです。ワインを片手に持ってなめるように舌でもてあそび喉に垂らすのです。ソファーに座って足を組むのです。
 テーブルの上には帰りにポストボックスから抱えて持ち帰り投げ出した郵便物が散乱しています。私の目はその中のメール便に止まり、硬直しています。
 行正・・・。
 ただ差出しの名前が見えているのです。
 なぜ…。
 そう、あなたの名前、便りをくださったのですか…。
 そう、私は今まで書いた手紙は書くだけで投函してはいませんでした、ああ、言葉がのどに閊えます。いつもバックの中に忍ばせて肌身離さず持って歩いていました、が、出発の慌ただしさに紛れてほかのものと一緒に投函していた…。いいえ、そんなはずは…。
 急いでという表現はおかしい、なぜこんな時に緩慢な動作しかできないのか歯がゆく感じます。ゆっくりと這いながらテーブルに近づき、手に取ろうとしても手が震えて言うことを利きません。
 行正…。私のために書いてくださったのですか、これは夢ではないのですか、十年ぶりにあなたの筆跡の文字を見ています。
 その時、書かれていることが何であれ受け止める心があったのはどうしてなのでしょう。
 酔いも睡魔もどこかへ飛んでいました。それを手に取ったのは永い時間の後のように感じられました。胸に抱き絞めていました。弱い女になっていました。

 君から頂いた手紙に返事を書こうかどうしょうかと考えていました。それは君に対しての贖罪がまだ僕の中ではできていなかったからです。
 
このような書き出しで…。
 
父に言われたわけではない、僕の意思で書いている。未熟だった、その言葉で君に何もかも理解しろと言うのは不遜なことだということも承知している。あの時僕は相剋の中にいた。ただ、愛することに、その意味も知らずに君と接していた。
 その言葉も君には伝えられなかった。

 私は届かぬ手紙を書くだけで心が癒され幸せでした…。

 怖かった、君の人生を壊すことになるかもしれないことにおののいていた。君に合わせる顔がなかった。この十年間に君に起こったことは手紙で理解できた。
 この十年間、父の脛をかじり父の書斎の蔵書を読み漁っていた。それは愛という幸延な思いを知るためだった。
ここに僕が書いたものを添えて置きます。今、まだ答えを探しているのです。
 今の段階ではここまでしか書けない、それが答えです。
 どのように読まれても、今そのことしかないことを理解してほしい。

 あなたはここまで書いて次を読めと言われていました。ガウンをまといベッドに横になり読み始めたのです。あなたの吐息と鼓動が伝わって来ていました。
 これからの時が私の至福になるのか、絶望になるのか、もうその時には腹が座っていました。
 私は落ちていく自分を冷静に受け止め文字と文字の間のあなたを読み取る努力をするでしょう。そして、文章の底に横たわる真意に迫る読み方をするでしょう。それを望まれていると思うからです。
 もう震えてはおりません。あなたが私に何を伝えようとしているのか、心理の戦いなのです…。


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